アメリカで約4年働いた事がある。
2007年、英語も殆ど話せない状態で渡米した。
なんとか研修先のレストランに辿り着き、アメリカでの生活をスタート。
調理師学校、レストランである程度の基本的な技術は身につけていたので、言われた事をこなして行く分にはそんなに問題は無かった。
しかし、言葉によるコミュニケーションが一切とれなかった。
何を言っているのかさっぱりわからない。自分の口からも何も出てこない。
焦った。
しかもレストランを出るとますますわからない。
この時期ほど、
「アメリカ人になりたい!」
と、強く思った事は無かった。
アメリカ人のように話し、冗談を言い、楽しく暮らしたい、と。
今思えば、こう思えたのは良かったのかもしれない。
同僚達の英語をまねしようと必死になれたからだ。
当時のノートを見ると料理のレシピや作り方より、わからない単語の、メモの方が多い。
少しずつ耳が慣れたのももちろんあるが、その後からだんだんとコミュニケーションがとれるようになって行ったのだ。
こうして約4年のアメリカ漬け生活が始まったのだが、帰る頃には全く違う考えをしていた。
それはまたの機会に。
Wataru
2007年、英語も殆ど話せない状態で渡米した。
なんとか研修先のレストランに辿り着き、アメリカでの生活をスタート。
調理師学校、レストランである程度の基本的な技術は身につけていたので、言われた事をこなして行く分にはそんなに問題は無かった。
しかし、言葉によるコミュニケーションが一切とれなかった。
何を言っているのかさっぱりわからない。自分の口からも何も出てこない。
焦った。
しかもレストランを出るとますますわからない。
この時期ほど、
「アメリカ人になりたい!」
と、強く思った事は無かった。
アメリカ人のように話し、冗談を言い、楽しく暮らしたい、と。
今思えば、こう思えたのは良かったのかもしれない。
同僚達の英語をまねしようと必死になれたからだ。
当時のノートを見ると料理のレシピや作り方より、わからない単語の、メモの方が多い。
少しずつ耳が慣れたのももちろんあるが、その後からだんだんとコミュニケーションがとれるようになって行ったのだ。
こうして約4年のアメリカ漬け生活が始まったのだが、帰る頃には全く違う考えをしていた。
それはまたの機会に。
Wataru